ファミスタが流行ってた頃のカルビーのプロ野球チップスの野球カード

プロ野球カードを集めていた1989年

プロ野球の開幕が6月19日に決定したということで

スポーツのある日常が少しずつ戻ってくることに、心躍らせているねずみです。

 

そこで開幕前の今のうちに身の回りの雑務を済ましてしまおうと

気合いを入れて教室中の掃除をしておりましたところ

子供のころ集めていたプロ野球カードが、ごっちゃり出てきました。

 

もっとも当時の自分のお小遣いで買える程度の量ですが。

個性豊かな野球選手たちをカードで集める楽しさを思い出しました。

左の方にラモス瑠偉選手がおりますね。

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って、ラモスはサッカー選手や(^o^)/

そういえばJリーグカードも集めてたからなあ。 

 

カルビーの小さいプロ野球カード 

いろいろなカードがごちゃ混ぜになっていたので種類別に整頓したところ

大きく分けて6種類のカードがありました。

4タイプのプロ野球カード・MLBカード・Jリーグカードです。 

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その中から今回は、左上の小さいカードについてだけ写真で見せていきます。

これはカルビーのプロ野球チップスに付いていたもので

1袋30円のチップスに1枚だけカードが入っていたと記憶しています。

 

 

集めていたのは、主に1989年ごろです。

球団別に分けてみたところ、枚数に明らかな偏りが。

 

セ・リーグのカードや、Aクラス常連球団のカード割合が多いのは

今よりも球団による人気の差が顕著だった事情もあるでしょう。

「初代ファミスタ」では、パ・リーグのチームが3球団しかなかったくらいですからね。

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ちなみに、ねずみは地元の横浜DeNAベイスターズファンです。

当時の球団名「大洋ホエールズ」の時からです。

 

ファミスタの影響の凄さ

1986年12月に発売されて、一躍大ブームになった野球ゲーム

「ファミスタ」ことファミリースタジアム。

本物のプロ野球選手の名前と能力が反映されているのが当時としては画期的でした。

ファミスタで遊びながら選手の名前と特徴を自然に覚えることで

プロ野球全体のファン層も格段に広がりました。

ねずみも夢中になって遊んで、プロ野球にも野球自体にも急激に興味を持つことに。

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☆カードホルダーが当たった☆

そして、いろいろな選手に愛着が湧いてきたところにプロ野球カードですからね。

それはもう駄菓子屋に行くたびに買ってしまいますよ。

 

これは現在発売中の「2020プロ野球チップス」です。

昔より袋もカードも大きくなって100円に。カードも2枚入りになりました。

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プロ野球チップス特典のカードホルダー。

あまり覚えていないのですが、「ラッキーカード」というのが入っていたら

それをカルビーに送ることでもらえたはずです。 

(現在もそのようになっています) 

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ねずみは2回当たったので2つ持っていますヾ(^▽^)

友達に自慢して「すげー」と言ってもらえたことだけは、よく覚えています。

 

 

表紙の裏には当時の12球団が、前年度(1988年)の順位で描かれていました。

半分近くが今と違う球団名なのが時代の流れを感じますね。

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12球団プロ野球カード紹介

それでは1988年の順位で、球団トピックや選手について一言ずつ書きながら

各球団のカードを5枚ずつ載せていきます。

 

セントラル・リーグ 

中日ドラゴンズ

「恐竜打線」の破壊力で1988年セリーグ覇者となった中日ドラゴンズ。

首位広島と最大8ゲームあった差をひっくり返しての優勝でした。

 

左上から順番に敬称略で。

高卒ルーキーで新人王の活躍、立浪和義

ゲーリー・レーシッチと、三冠王落合博満の恐ろしすぎる3.4番。

「仁村弟」こと仁村徹。気迫あふれるストッパー郭源治

ファミスタで落合ってすげー選手なんだなあって知ったら、本物は本当に凄かったという。

ハマスタの大洋戦で毎試合ドッカンドッカン打ちやがってー( ゚Д゚)

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読売ジャイアンツ

本拠地が後楽園球場から東京ドームに移った読売ジャイアンツ。

日本初のドーム球場はBIG EGG(ビッグエッグ)の愛称で話題になりました。

 

高卒3年目で開幕投手を務めたエース桑田真澄。絶好調男中畑清

巨人史上最強の助っ人ウォーレン・クロマティ

「若大将」原辰徳、打撃の天才吉村禎章の華やかなクリンナップ。

なんという豪華メンバー。巨人って本当にスター軍団だなあと思いましたよ。

ファンでなくてもワクワクするような、人気選手の揃ったチームでした。

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広島東洋カープ

強力な投手陣を擁する赤ヘル軍団広島東洋カープ。

しかしこの年は、打線の援護に恵まれず失速しての3位でした。

 

抜群のコントロール「精密機械」北別府学。超強力左腕コンビ大野豊川口和久

走攻守揃ったスイッチヒッター高橋慶彦。デッドボールの演技でおなじみ達川光男

この頃の広島のピッチャーは、それはもう凄かったです。

完投完封するのが当たり前なイメージ。

大野選手の軸足に深く体重を乗せる投げ方がカッコよくて、よく真似していました。

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横浜大洋ホエールズ

古葉竹識監督を迎えて2年目のシーズンも、Bクラス脱出ならず。 

チームのスタイルを模索しているような時期でした。

 

円熟の投球術斉藤明夫。安定してローテーションを守った大門和彦

俊足・巧打の二遊間「新スーパーカートリオ」高橋雅裕高木豊

本塁打・打点の二冠王「スーパーマリオ」カルロス・ポンセ

大洋ファンでしたが、俊足選手3人を1・2・3番に置くチームカラーと

斉藤明夫のユルい球を使う投球術が特に好きで、野球って面白いなあって思いました。

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斉藤明夫・ポンセとのヒゲトリオで

スーパーカートリオでもある屋敷要を入れたかったのですが

屋敷選手のカードは持っていないのです(´・ω・`)

 

 

ヤクルトスワローズ

低迷の続くチームでしたが、豪快に振り回す打撃陣と

ドラフト1位入団で背番号3を付けた長嶋一茂が話題になりました。

 

シュアなバッティングの栗山英樹。プロ初安打をホームランで飾った長嶋一茂

「ブンブン丸」こと池山隆寛広沢克己のイケトラコンビ。

ゴルフのようなアッパースウィングのラリー・パリッシュ(1989年入団)

毎年大洋とBクラス争いをしているのがネタでした。

器用な選手と豪快な選手が両極端だったり、応援がビニール傘と東京音頭だったり

独特なチームカラーだなあと思いましたよ。 

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阪神タイガース

1985年の優勝メンバーから過渡期に入り始めた時期。

村山実監督が就任し、若手選手を積極的に起用するようになりました。

 

投手陣の柱池田親興。エースの働きを見せるマット・キーオ

恐怖の1番打者真弓明信。史上最強の助っ人ランディ・バース。強打健在岡田彰布

過渡期でしたがV戦士が揃うチームは魅力が溢れていました。

未だに語り継がれるほど凄まじい打線でしたからね。

なんで掛布が入ってないんや!と思うでしょうが、カードを持っていないのです。

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パシフィック・リーグ

西武ライオンズ

中日との日本シリーズを制して3年連続日本一になった西武ライオンズ。

まさに「西武黄金時代」を築いていました。

 

左右の大人気エース工藤公康渡辺久信

歴代屈指の守備力、職人二塁手辻発彦

走攻守に圧倒的な能力秋山幸二と、ホームランアーチスト清原和博の「AK砲」

パリーグは西武が優勝するのが当たり前というくらいに強い時期でした。

隙のない投手陣。打線は俊足好打者揃い。守備も全員うまいという。

チームバランスの良さが桁違いでした。

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近鉄バファローズ

1988年と言えば、伝説の「10.19」の年です。

近鉄のリーグ優勝のかかったシーズン最終戦。ロッテとのダブルヘッダー第2試合。

延長10回時間切れ引き分けにより優勝を逃すことに。

 

絶対的エースでアイドル級の人気、近鉄躍進の原動力阿波野秀幸

同じくサウスポーの小野和義。守護神吉井理人

リードオフマン大石大二郎。途中加入し本塁打を打ちまくったラルフ・ブライアント

「10.19」のダブルヘッダーは今でも話題になるほどドラマチックなものでした。

翌年、雪辱のリーグ優勝と合わせてプロ野球界の話題を独占していました。

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日本ハムファイターズ

巨人とともに東京ドームを本拠地としドーム元年となった日本ハム。

外国人選手の離脱で打力が落ちたものの、抜群の投手力でAクラスを確保。

 

スマートな体型と甘いルックス。人気と実力のエース西崎幸広

切り込み隊長島田誠。中日から加入の4番大島康徳

安定した打撃のトニー・ブリューワ。リーグを代表する名捕手田村藤夫

北海道移転前は、東京ドームで日ハムはデーゲーム巨人はナイターという形が多かったです。

西崎選手は阿波野選手と並んで、この頃のパ・リーグの顔でした。

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阪急ブレーブス(オリックスブレーブス)

1988年は阪急ブレーブスとしての最終年。シーズン後の球団譲渡により

翌年から球団名がオリックスブレーブスに変わることになります。

 

魔球スローカーブを操る星野伸之。右のエース山沖之彦

不惑の本塁打王門田博光。そして石嶺和彦藤井康雄と続く、後の「ブルーサンダー打線」

山沖選手のユニホームが阪急時代のもので、それ以外はオリックスです。

球団名が変わるという出来事を初めて見て、不思議な気持ちと寂しさがありました。

門田選手は1988年は南海ホークスの選手でしたが

40歳で44本塁打を打って本塁打・打点の二冠王を獲得するという凄すぎる打者でした。

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南海ホークス(ダイエーホークス)

阪急と同じく、球団譲渡により1988年が南海ホークスとしての最終年でした。

翌年から球団名はダイエーホークスに。

 

「ダブル山内」こと山内孝徳山内和宏。先発も抑えもこなす加藤伸一

中継ぎで抜群の安定感井上裕二。俊足強打で打線の火付け役佐々木誠

南海ホークスの緑のユニホームが好きだったのですが

カードはどれもダイエーになってからのものです。

鷹をモチーフにしたヘルメットが「ガッチャマンヘルメット」と呼ばれ話題に。

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ロッテオリオンズ

普段は空席の目立つ川崎球場が「10.19」では観客で埋め尽くされることに。

 

マサカリ投法からの豪快フォーク、衰え知らずの鉄腕村田兆治。(村田兆治選手2枚です)

トレードで1987年に中日から加入、リリーフエース牛島和彦

ロッテオリオンズの顔愛甲猛。10.19での同点ホームラン高沢秀昭

横浜から近い川崎なので、ロッテの試合は何度か観戦する機会がありました。

球場の狭さと観客の少なさから観客の声がよく通り

選手との掛け合いも楽しめるような、フリーダムな雰囲気がありました。

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当時を知る人に懐かしんで頂けたなら幸いです。

どの球団も個性的で魅力ある選手にあふれていましたね。

 

そして、選手とファンが一体となってドラマチックな歴史を積み重ねてきたのを感じました。

今年のプロ野球もどんなドラマが生み出されるのか楽しみです。

 

それにしてもこんな形で、昔集めていた野球カードを見せる機会があるとは。

捨てずにとっておいて良かったー (*´▽`*)

こういうのもまた、ドラマチックな歴史といえるでしょうか。

 

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